硫化水素による自殺について

 まず、報告しておきます。

 4月26日に長野に行きました。現地は、相当に混乱しておりました。中国人が沢山おりました。そんな中、私はとんぼ返りでかえってきてしまいました。このまま抗議行動を起こすことに不安を感じてしまったのです。あの騒動を目の前にして、自分の能力を超えている、と思いました。

 色々、偉そうなことを書いてしまい、申し訳ありませんでした。


◇          ◇


 最近、硫化水素による自殺が流行っている。「お上」や「マスコミ」からは、困惑の声があがっている。次の読売の社説などは、その中の典型的な一つといってよいだろう。


硫化水素自殺 巻き添えの被害も深刻だ(5月4日付・読売社説)
>なぜ、こうも命を軽んずるのだろうか。有毒の硫化水素による自殺が相次いでいる。

>手をこまぬいているわけにはいくまい。自殺サイトを社会悪と位置づけ、ネット上から排除していく必要がある。

>見逃せないのは、巻き添えによる二次被害だ。

>「表現の自由」との兼ね合いもあり、強制的に削除することはできない。

>それにしても、自殺した人たちには、どんな悩みや動機があったというのか。若いうちほど、やり直しはきくものだ。少し時が過ぎるのを待てば、何でもなかった問題だったかもしれない。

>次々と手段を変えながら、流行現象のように若者が自殺する社会は、健全ではない。その背景も社会全体で考える必要がある。

 確かに、硫化水素の問題は難しい。社説では、「自殺サイトを社会悪と位置づけ、ネット上から排除していく必要がある」と書いているが、そう簡単にはいかぬ問題を含んでいる。

 硫化水素の自殺方法がネットにアップされたのは、今年になってからではない。最初は、ある一人のネット利用者が、興味本位で、自殺方法のあれこれを、ヒッソリ考察していたに過ぎなかった。このページの冒頭には、次のような気味の悪い文が並んでいる。


諸君 私は自殺が好きだ
諸君 私は自殺が好きだ
諸君 私は自殺が大好きだ
(略)
この地上で行われるありとあらゆる自殺行動が大好きだ
(略)

 そして、このページによると、硫化水素法は、彼自身の考案であり、そのキッカケは、平成17年に起きた、硫化水素中毒事故の報道であったことが明らかにされている。

硫化水素ガスで?親子4人が意識不明…秋田・泥湯温泉
★硫化水素ガスで?親子4人が意識不明…秋田・泥湯温泉

 29日午後5時ごろ、秋田県湯沢市高松の泥湯温泉の屋外駐車場で、人が倒れていると119番通報があった。救急隊が駆けつけたところ、4人が倒れており、いずれも意識不明という。
 湯沢署の調べによると、4人は夫婦と子ども2人で、都内から来ていた宿泊客とみられる。 同署は、一帯で噴出している硫化水素ガスが原因とみて調べている。

 泥湯温泉では2000年2月、宿泊客ら21人がガスを吸って目の傷みなどを訴える事故も起きていた。

(2005年12月29日19時22分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051229it12.htm

★温泉旅館近くで4人倒れ意識不明 硫化水素ガス吸う?

 29日午後5時、秋田県湯沢市高松の泥湯温泉「奥山旅館」で、宿泊客の家族4人が倒れ、 雄勝中央病院に運ばれた。硫化水素ガスを吸ったとみられ、4人とも意識がないという。

 同旅館によると、4人は東京から来た家族で、夫婦と男児2人。このうちの父親から「妻子3人がいない」と従業員に連絡があり、捜していたところ、旅館の駐車場わきの雪の山の中にできた空洞に3人が落ちていた。空洞は、硫化水素ガスの噴出でできたとみられ、助けようとした際、ガスを吸い込んで男性も倒れたという。

朝日新聞 2005年12月29日19時01分
http://www.asahi.com/national/update/1229/TKY200512290219.html

 この報道に対し、彼は次のように書いている。


 この特性に目をつけた「何者」かってのは、俺だよ俺、オレオレ。
 きっかけは、2005年12月29日、秋田県湯沢市高松の泥湯温泉で、一家四人が硫化水素で全滅したという事件。お前ら覚えているか?忘れてるだろ?

(中略)
 はっちゃけぇ〜 はっちゃけぇ〜 はっちゃけぇ〜!!

  閃いた!!

(中略)すれば硫化水素が発生するぞ!!

 この間、わずか0.5秒。宇宙刑事ギャバンの蒸着10回分であった。

 で、時間をかけてじっくり計算してみたら、実用的な数字が出てきてインド人もビックリ。これは天の配剤か・・・・・・。

 そもそもここに書かれているすべては、ページトップにも書いてあるとおり、ウェブマスターのストレス解消(他人に見られることを前提としたオナニー)のためのもので、実際に混合試験・動物などを使用した毒性試験等は一切行っておりません。脳内妄想をそのまま垂れ流して文字にしただけであり、危険な状況を解説することによる逆説的安全情報としてご利用いただけるように作成いたしました。くれぐれも悪用しないようにお願いいたします。

 それゆえ、この方法で本当に死ねるとは微塵も思ってもいませんでした。だから、どこで誰が何人死のうがウェブマスターは一切責任を持ちません。ご冥福もお祈りいたしません。

 最後の文句から分かるが、あくまで彼は興味本位であり、単に机上の議論として、ネットにアップしていただけであった。

 これがアップされたのはいつか? 正確にはわからないが、HPには、次のような記述があることから、少なくとも一年前には、アップされていたのは確実。

>計算はかなりアバウトでいいかげんです。かなりの間違いがあるかもしれません。すんまそん致命的な間違いがあったので修正しますたwwwww(2007.04.30)

 しかし、たった一つの弱小ページが唱える硫化水素法は誰にも知られず、埋もれていく……はずであった。

 しかし、ネットの怖いところは、その気になって検索すれば、弱小ページでも簡単に引っかかってしまうこと。平成19年の中頃には、既に、この方法による自殺の記事が見られる。


  1 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★:2007/03/07(水) 02:46:21 ID:???0
★香川の大学生、有毒ガス発生させ自殺か
  http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1173203181/
  平成19年3月6日午後1時半ごろ、高松市太田下町のアパートで、浴室に住人の香川大4年の男子学生(24)が倒れ、異臭が立ちこめているのを、家族の通報で駆けつけた消防隊員が発見した。大学生は間もなく死亡が確認された。
  自宅アパートの浴室で、洗面器で市販洗剤(何と何を混ぜたかは不明)を混合して硫化水素を発生させて自殺した。
  玄関のドアに「硫化水素発生中」の張り紙があった。周辺への被害は無かったが、近隣の小中学校では部活動を中止し、1年生と2年生の下校には担任が付き添った。
(日刊スポーツで報道されたが、リンク切れ。)

 勿論、当初は、単発で試みて成功した事例が、散発的に報道されたに過ぎなかった。ほとんどの人は、忘れ去ってしまうような記事であったろう。

 しかし、単発の事例でも、目新しい方式が報道されれば、「オヤ」と思う人もいる。特に、自殺に対する考察を集団で行っている人達、いわゆる「自殺サイト」や「自殺掲示板」などでは、話題になるのは時間の問題であったろう。

 例えば、2ちゃんねるの「メンヘルサロン」板にでも行ってみたまえ。「自殺」という言葉が入ったスレがいかに多いことか。上の事件があった直後の去年の3月31日には、既にスレッドが立ってしまっている。以降、このスレには緩やかながら確実にレスがついていき、同年11月には、2番目のスレが立っている。以降、スレの勢いは加速度的にあがり、4月には1日1〜2スレを消費するほどになる。

 1.07/03/31 02:37
 2.07/11/05 17:43
 3.08/01/18 18:48
 4.08/02/01 08:02
 5.08/02/19 09:50
 6.08/03/02 18:38
 7.08/03/13 08:04
 8.08/03/17 17:18
 9.08/03/22 01:19
 10.08/03/25 22:43
 11.08/03/27 21:18
 12.08/03/29 01:08
 13.08/03/30 19:11
 14.08/04/01 01:11
 15.08/04/02 17:20
 16.08/04/04 11:24
 17.08/04/05 10:17
 18.08/04/05 20:41
 19.08/04/06 00:13
 20.08/04/06 01:00

 スレが進むにつれ、考案者の意思を超えて、硫化水素法のマニュアルが急速に整備されていく。しかも、自殺志願者の境遇によって、複数の方式が用意されており、より「使い勝手のよい」マニュアルとなっていく。

 マニュアルだけではない。この方法による自殺予告がスレッドに書き込まれ、後で報道されると、「あの予告は本当だった」ということが証明される。それだけでも、スレは盛り上がるし、自殺方法としての確実さも認識される。そうやって、よりスレが加速していき、よりこの方法を試みる者が増える。完全に拡大スパイラルに陥った。

 ネット⇒自殺⇒報道⇒ネット⇒自殺⇒報道⇒ネット⇒自殺⇒報道…

 この拡大スパイラルも、もとはといえば、「考案者の弱小HP」と、それを見た(と思われる)「一人の自殺者」と、それを報道した「スポーツ新聞のベタ記事」に過ぎない。更にその前に遡れば、自殺とは無関係な中毒事故と、その報道である。これが一年の歳月をかけて、少しずつ成長し、今年になってから奇形的に広まったのである。


◇          ◇



 こうなると、ある種の規制論が出てくるのはやむを得まい。ネットに対する圧力は既に始まっている。

【沖縄県警です】硫化水素ガスの製造を誘引するおそれのある情報の削除について(依頼)

沖縄県警察本部生活安全部生活保安課サイバー犯罪対策係の○○と申します。

突然のご連絡で申し訳ございませんが、
御社提供のwebページキャッシュサービスである
「ウェブ魚拓」において、硫化水素の生成方法具体的に教示し、
下記のとおり、人を自殺に勧誘・誘引すると思われる、
http://jisatsu.yi.org/
の情報が2件キャッシュされております。

同種の硫化水素ガスの製造を誘引するおそれのある情報については、
4月30日付けで、警察庁がインターネットからの削除を依頼する
有害情報として指定しているところであります。
(http://www.npa.go.jp/cyber/policy/suicide/image/H2Stsutatsu.pdf)

つきましては、下記に示したキャッシュの削除をお願いできませんでしょうか。

なお、当該キャッシュの本体(http://jisatsu.yi.org/)は、
既に削除されております。



 これに対する「株式会社アフィリティー」の対応は、以下の通りになっている。

Re: 【沖縄県警です】硫化水素ガスの製造を誘引するおそれのある情報の削除について(依頼)
弊社はこれまで児童ポルノ関連や旧被差別部落関連において
たびたび政府関係機関から要請を受けて削除を行ってきました。
しかし、この件につきましては現時点では要請を受け入れることはできません。

理由は下記の2点です。

(1) 表現の自由に反する

特定の相手に犯罪を教唆する行為は犯罪ですが
不特定多数に犯罪の方法を示すのはそうではありません。
「包丁を使えば人の腹を刺すこともできる」とか「ライターと石油と新聞紙があれば放火できる」
と言っているのと大差ありません。

上記のような例は「有害」な情報ではありますが
日本人にはそれを表現する自由があります。

要請して頂いたような単に「自殺する方法」である有害情報を全て消して世の中が「きれい」になって
それでも自殺が減らなかった場合はどうなるのでしょうか。
今グレーゾーンとされている領域が全部消えてなくなったら、今ホワイトとされているものがグレー扱いされるのではないですか。
今度はテレビ局に「ドラマ等で自殺を肯定的に扱わないように」とか出版界や映画界に「自殺を扱う内容は自粛せよ」と言うのが容易に想像できます。
「自殺が肯定的に表現される芸術作品等」は江戸時代の人形浄瑠璃などでも知られる、よくあるテーマの一つに過ぎません。

添付資料にあった削除要件の
> 製造を誘因する
> 利用を誘因する
といった基準には、法的に十分な根拠がありません。
こういった恣意的な基準で「有害」と規定して排除する態度を警察が取るのであれば
上記の話もあながち夢物語とは言えないでしょう。

(2) 自殺が減るとは考えにくい

人は情報があるから自殺するのではなく、その人その人の事情によって自殺していると考えられます。
極端な話、物心ついた日本人なら誰でも首吊りの方法を知っているのですから。

警察は、「今流行っている硫化水素による自殺を減らす」という目的を達成するためか
あるいは取り組んでいるポーズを単に示すために
このような安易なことを考えたのだと思いますが
場当たり的な方法は社会に悪影響を及ぼすでしょう。
警察の対応を憂慮しています。

よろしくお願いいたします。

 …というように、ネット側としては規制に非協力的なところがある。もっとも、方法考案者のサイトは削除されているので(geociteis)、全てが非協力的というのではないが、そうでない所もあるし、googleなどでも検索すれば、簡単にひっかかるので、ネットから、この自殺方法を抹殺するのは、もう無理であろう。

 また、上の読売社説では(そして他のマスコミでも)、何故かネットばかりを規制論の対象にしているが、この拡大スパイラル(ネット⇒自殺⇒報道⇒ネット⇒自殺⇒報道⇒ネット⇒自殺⇒報道…)を見ればわかるように、報道も一役買っている。彼らはスパイラルのうち、「ネット⇒自殺」の部分を強調しているのだが、スパイラルを拡大させているのは、むしろ「自殺⇒報道」の部分によるところが大きい。ネットだったら、敢えて検索しようとしなければ、硫化水素法を知る確率はそれ程大きくないが、報道の場合は、その意思があろうとなかろうと、視聴者全員に「硫化水素法」のことを触れ回っているのだから。

 しかし、「報道を規制せよ」という話は、ほとんど報道されない。彼らには、全員ではないにせよ、恐らく、「自分達も、自殺方法を広めている」という認識はある。しかし、このことを公に認めることは、自分達の首を絞めることになるため、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。

 ということで、情報を封鎖することは、絶望的だ。どんなに情報を封鎖しようと、私は既にその方法を知ってしまっているから、その気になれば、ネット上に書き込むこともできるし、その方法で自殺することもできる。


◇          ◇


 それならば、もう一つの方法として、硫化水素法に必要なる商品の販売を規制することだが、これも簡単ではない。大手の会社なら、一商品くらい販売しなくてもどうにかなろうが、「この商品が我が社の全て」というような、弱小メーカーだと、何らかの補償が無い限り、販売停止などできない。


◇          ◇



 硫化水素法が広まった経緯こそ、ネット時代ならではだが、これをネットだけのせいにするのはいかがなものだろう。「自殺」というものは、一件の象徴的な自殺をキッカケに、流行する性質がある。これはネットでなくても、社会的告知(主に報道)のシステムが整っている社会に、当てはまるのではないだろうか。

 最近な例で言えば、岡田有希子さんの後追い自殺。もう何年になるだろう。

 少し古いところでいうと、昭和8年の、三原山の火口投身自殺。wikipediaによると、


1933年1月8日、実践女学校の生徒が火口へ投身自殺。2月12日に同じく実践女学校の生徒が投身自殺。2件とも同じ同級生が自殺に立ち会っていたことからセンセーショナルに報道され、この年だけで944人が投身自殺した。

 この解説だとピンと来ないので、少し詳しく解説する。女学生A子が三原山で火口に投身自殺したが、その現場には、付き添いで来ていたX子という別の女学生がいた。X子は、A子が自殺したのを見届けると、そのまま山を降りてきた。

 別の日、X子はB子にも、自殺の立会いを頼まれ、やはり三原山に登った。B子は自殺したが、X子はそのまま山から降りてきた。

 ということで、X子は「死の立会人」としてセンセーショナルな報道がなされ、その現場である三原山には自殺志願者が殺到したという。

 他にも、華厳の滝とか、JR中央線など、自殺の名所と呼ばれている場所は多々ある。今回の硫化水素法は「名所」ではないが、「特定の自殺方式が流行する」という点では、同一のものだと考えられる。

 長々と書いてしまい、とりとめがなくなってしまった。何が言いたいかというと、「結局、自殺というのは古くて新しい問題であるため、あまり目先の対応ばかりしていっても、自殺な少なくならない」ということである。

2008年05月04日(日) | 15:24:58 | トラックバック(0) | 時事問題

チベットに自由を!


…という、ノボリらしきものを作りました。


433-1.jpg


A2のケント紙を縦2枚につなげています。
右側の棒(100円ショップで買ったつっかえ棒)で、このノボリを支えます。

文字は、パソコンで作成。
なるべく遠距離からも目立つよう、ゴシック体を更に太字にしました。
(ペンで書いたり、明朝体だと、少し離れると読めなくなる)
A4一枚だと収まらないので、文字列を8つに分割、A2に貼り付けています。

さて、どうなるか…。


2008年04月24日(木) | 19:18:14 | トラックバック(0) | 時事問題

いわゆる「永山基準」


 光市の事件で、元少年の被告が死刑判決を受けました。あまりに当然過ぎる判決だと思うし、世間の7〜8割くらいの人も同じように感じていることでしょう。なので、判決そのものの妥当性について述べることはしません。

 当判決は、「厳罰化へ道を開いた。大変だ」みたいな言われ方もしています。一方で、「"厳罰化"ぢゃない、"適正化"だ」との意見もあります。まぁ、"厳罰化"なのか"適正化"なのか論ずるのは、言葉の遊びみたいなもんで、それほど有意義とは思いません。どちらも、「刑の重さはかくあるべし」という絶対的基準(某A新聞曰「死刑へのハードル」)を脳内に設けて、それに沿って意見を言っているだけだからです。

 それよりも、ここでは基本に戻って、「永山基準」なるものについて考えてみましょう。勿論、私は法律についてド素人ですし、「永山基準」なんて言葉を知ったのも最近です。ただ、色々と調べて、それについて考えることはできるので、それを書こうと思うわけです。専門知識は踏まえておりませんし、ソースは全部ネットなので、その点、御了承ください。

 「永山基準」なるものは、次の九項目からなるそうです。


永山則夫連続射殺事件
この事件以降殺人事件において死刑判決を宣告する際は、永山判決の死刑適用基準の判例を参考にしている場合が多く、永山基準と呼ばれる。1983年に第1次上告審判決では基準として以下の9項目を提示、そのそれぞれを総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合に許されるとした。

1.犯罪の性質
2.犯行の動機
3.犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性
4.結果の重大性、特に殺害された被害者の数
5.遺族の被害感情
6.社会的影響
7.犯人の年齢
8.前科
9.犯行後の情状

 で、永山裁判以降、これらに従って、殺人事件の判決が下されるようになるわけです。ここで注意したいのは、永山基準そのものには、この九項目の間に軽重はつける文言はないこと。1〜9を総合的に考えて、量刑を決めなさい、ということだろうと、私は解釈しています。

 そして、永山裁判から下ること25年、光市の事件の最高裁判決で、7番の「犯人の年齢」について、「死刑を回避する決定的な事情とはいえない」と述べ、「被告人の罪責は誠に重大であり、特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかないものといわざるを得ない」と高裁に差し戻しました。これは、永山基準が揺らいだことを意味するのでしょうか?

 そうではないでしょう。

 実際、差し戻されたほうの高裁でも、次のように述べています。


【光母子殺害・判決要旨(9)完】量刑「極刑はやむを得ないというほかない」
 (ウ)被告人は犯行当時18歳と30日の少年であった。少年法51条は犯行時18歳未満の少年の行為については死刑を科さないものとしており、被告人が犯行時18歳になって間もない少年であったことは量刑上十分に考慮すべきである。また、被告人は高校を卒業しており、知的能力には問題がないものの、精神的成熟度は低い。


 ちゃんと、「被告人が犯行時18歳になって間もない少年であったことは量刑上十分に考慮すべき」といっています。

 でも、その後の文章で、

たしかに、被告人の人格や精神の未熟が本件各犯行の背景にあることは否定し難い。しかし、各犯行の罪質、動機、態様にかんがみると、これらの点は量刑上考慮すべき事情ではあるものの、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情であるとまではいえない。

と述べ、その他、様々な考察を重ねた後、最終的に「以上の次第であるから、被告人を無期懲役に処した第1審判決の量刑は、死刑を選択しなかった点において軽過ぎるといわざるを得ない」と結論付けています。

 つまり、「犯人の年齢」は考慮の対象内ではあるものの、その他の条件を覆すには至らなかった。だから死刑しかないのだ、というストーリーです。

 以上の流れは、以下のように解釈すべきではないか、と思います。

 これまでは、「永山基準」なる慣例のうち、「犯人の年齢」が異常に肥大化してしまっていた。正確に言えば、「犯人の年齢が未成年である場合」の力が一人歩きし、ほとんど絶対的な基準になってしまい、これを覆すには、よほどのことがないと無理になってしまっていた。よって未成年の極悪犯は、「無期懲役」という量刑が必然的に決まってしまい、あとは、「死刑を回避する理由」を後付けでひねくりだしていた。永山基準のうち、「犯人の年齢」と「結果の重大性、特に殺害された被害者の数」だけに重きをおき、あとの項目は、そこから逆算して適当なことを言っていた。

 差し戻し前の地裁判決の一部です。

山口・光母子殺害事件判決要旨
 そして、その犯行態様は、極めて冷酷かつ残忍であり、非人間的行為であるといわざるを得ない。また、被告人は犯行後その発覚を遅らせるために、遺体を隠匿したり、罪証隠滅のため自己の指紋の付いた物品を投棄したり、窃取した地域振興券を使用する等犯行後の情状も極めて悪い。

<中略。犯人の悪材料が続く>

  3 しかし、83年7月8日の最高裁第2小法廷判決が示したところに従って本件を検討すると、殺害は事前に周到に計画されたものでなく、被告には前科がなく犯罪的傾向が顕著であるとはいえない。当時18歳と30日の少年であり、内面が未熟で発育途上にある。被告の実母が中学時代に自殺したなど、家庭環境が不遇で成育環境に同情すべきものがあり、それが本件の犯行に至るような性格、行動傾向の形成に影響した面が否定できない。加えて、捜査段階で一貫して犯行を認めており、公判廷で示した遺族に対する謝罪の言葉は必ずしも十分とは言いがたいが、被告人質問や最終陳述の際に被害者らに思いを致し、涙を浮かべた様子からすると、一応の反省の情の表れと評価できる。被告にはなお人間性の一端が残っており、矯正教育による改善更生の可能性がないとは言いがたい。

 4 以上によれば、本件はまことに重大悪質な事案ではあるが、罪刑の均衡、一般予防の見地からも極刑がやむを得ないとまではいえず、被告には無期懲役をもって、矯正による罪の償いをさせるのが相当である。

 あそこまで、犯人を非難し、「遺族に対する謝罪の言葉は必ずしも十分とは言いがたい」とも述べておきながら、「一応の反省の情の表れと評価できる。」と、なってしまう。「一応」ですよ、「一応」。こんな投げやりな副詞をつけて、「反省の情の表れ」と評価されては、被害者遺族もたまらんでしょう。死刑回避のための屁理屈がまかり通っていたわけです。

 このことは、光市事件の遺族も述べています。

光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】<3止>被告の反省文は「生涯開封しない」
今までの裁判であれば、18歳と30日、死者は2名、無期で決まり、それに合わせて判決文を書いていくのが当たり前だったと思います。

 これは、あまりにも不健全な状態です。先にも述べましたが、永山基準のどこにも「犯人の年齢は他の項目を差し置いても考慮すべき事柄である」なんて書いていません。永山基準は九項目全てを考慮して総合的に判決を下すことを求めているのに、これまでの「永山基準」の運用は、特定の一項目がほとんど絶対的な基準になってしまっている場合があった。

 そういうゆがんだ運用を改めて、基準の九項目を、もう少しフラットに扱おう。事件を総合的に眺めて判決を決めよう、というのが、先の光市の事件の最高裁判決だったと、私は考えます。だから、この判決により、永山基準は揺らいだのではなく、より一層、永山基準が普遍的になったと解釈するべきです。

 現実問題としては、今後、少年にも重刑が課されることが多くなるのは否めません。しかし、このことは、刑の重さが一律に底上げされることを意味するわけではありません。「年齢が若い」ことによって、ほとんど一律に減刑されていたものが、以降は、他の項目も加味されるようになり、その結果、重くなったり軽くなったりするようになる、ということです。


 考えてみれば、「永山基準」というのは「法律」には書いていない「運用」です。そして、「未成年優遇」は、運用であるはずの「永山基準」の、「そのまた運用」だったわけです。「二重の運用」の下に置かれていた「未成年優遇」が、これほどまでに絶対視されていたことは、何とも不思議なことだった、と言わざるを得ません。

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

2008年04月23日(水) | 22:24:47 | トラックバック(0) | 時事問題

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プロフィール

Author:あいふる
30代、男、一応社会人

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