部屋の片付け・不用品の処分を行った

 今日はつまらない話です。

 更新の日があいてしまいました。この間、何をやっていたかというと、それは部屋の片付け・掃除です。最近、家にいるときには、ほとんどそれらに専念している状態なので、マスコミのチェックは皆無に等しく、気が付いたら、とうの昔に内閣改造が終わり、辞任者まで出ている有様でした。

 最近、「片付けられない女」とか、「ゴミ屋敷を綺麗に片付けする企画」などが、テレビでよく放映されています。私も「片付けられない男」でした。でも、「これではいけない!」と先月突然思い立ち、以降、片付けてばっかりなのです。

 片付けて片付けて片付けて……どうやら山は越えました。以前に比べると、天国のよう。




 一応、私自身の名誉があるので、付け加えるが、以前の部屋も、テレビでやっているような、途方もないゴミ屋敷ではなかった。しかし、それでも部屋には本や紙が散乱し、ペットボトルが出窓に置きっぱなしで、汚い部屋だった。そこでチマチマと片付けをしていたら、「捨てる!」技術を発掘。


 これは、6〜7年くらい前のベストセラー。「モノを捨てなきゃ、部屋の片付けなどできない」という単純な主張を繰返しているだけで、何故、あの時の私はこんな本を買ってしまったのか不思議になる(しかも続編の「暮らす!」技術まで買っている)。

 しかし、である。このしょうもない(…と思われた)本が、今や、私のバイブルとなってしまった。読み終えると同時に、私は怒涛の勢いで捨て始めたのだ。「片付けている」というよりは「捨てている」というほうが近い。ものの弾みというのは恐ろしいものである。

【既に捨てたもの・捨てる態勢が整っているもの】

 ・本 数百冊(正式にはブックオフ・宅本便
 ・ダンボール類
 ・書類 数百枚以上
 ・掃除機2台
 ・ビデオデッキ2台
 ・パソコン3台(デスクトップ2、ノート1)
 ・ソファー
 ・スーツケース
 ・布団×4
 ・電気カーペット
 ・机の抽き出し
 ・戸棚の開き戸
 ・パソコンラック(分解済み)
 ・最近着ていない衣類全て
 (シャツ、コート、ズボン、ジャンパー、ネクタイなど)
 ・靴は4足残して全て(10足以上捨てた)
 ・マンドリン
 ・キーボード(楽器)
 ・1000ピースのジグゾーの枠入り完成品×3、500ピース×2
 ・食器・瀬戸物⇒一部を除いて全て処分
 ・古い食糧、調味料
 ・組み立て式ワゴン
 ・整理用抽き出し
 ・隙間用の抽き出し
 ・大量のケーブル類
 ・その他、燃えるゴミ 数十袋 & 燃えないゴミ 数十袋

 ゴミの日は、毎回、自宅とごみ捨て場を何往復もしている。また、これ以外にも、捨てる準備は出来ていないが、まだまだ捨てたいものがある。これらが、狭き1Kに収まっていたのだから全く驚きだ。

 ただ、これは私個人の特別な事情なのだろうか? おそらく違う。上記のような廃棄物は、普段、見えないところに追いやられているから気付かないだけで、本気になって不要物を処分しようと思えば、このくらいは出てくるのが普通ではないかと思う。



 上記の廃棄物リストの注目は、「組み立て式ワゴン」「抽き出し」など、収納用具でさえも捨てている、という点だ。

 収納用具は、収納スペースを増やしてくれるんだから、これで片付け・整理整頓は解決するかのような錯覚を起こす。

 しかし、そこが落とし穴なのである。

 収納スペースを増やしたら増やしただけ、モノは増え続けるからである。

 根本的な解決をするには、人間の意識と行動を変えなければならないのである。

 お金を貯めようとして、アルバイトで小金を稼ぐより、無駄遣いをやめることのほうが先決であることに、似ている。




 それでは、部屋を片付けるための「人間の意識と行動」とは何だろうか? それは以下の2点に集約されると思う。

 1.個々のモノの置き場所を決め、使ったら、その置き場所へ戻す。

 2.モノを無駄に溜め込まない
   ・不要なモノは買わない
   ・不要になったモノ、あるいはゴミは、その都度捨てる


 言い換えれば、1番は「モノは管理すべし」、2番は「管理できない量のモノは持つな」ということである。キチンと片付けられている人には全く当たり前のことでも、私のようなぐうたらな人間にとっては、途方もなく難しいことなのである。



 『「捨てる!」技術』の大半は、「捨てるためにどのような発想・行動をしたらよいか」ということに割かれているが、私が感動したのは、それ前の「ものが散らかるメカニズム」のようなことが書いてある部分である。

 モノがちらかるのは、収納の方法に問題があるのではない。収納の容量が足りないからでもない。

 どんなに収納の方を改めたって、「捨てる」ことがなければ、モノは収納スペースギリギリまで増え続け、やがて、溢れてモノがちらかるのである。

 まぁ言われてみれば、当たり前の話である。しかし、本当に「当たり前」だったら、100万部も売れない。結局、その「当たり前」の発想に引っ掛かるものがあったり、あるいは、発想はしても実行に移せなかったり、ということがあるから、当時ベストセラーになったのであろう。


 「捨てられない人」には、おそらく2タイプある。「勿体無くてモノが捨てられない」タイプと、「面倒くさくてモノが捨てられない」タイプ。私は後者だから、一度火がつくと、本の助けなど借りずに、徹底的にやれる。前者のタイプは、発想の転換が必要であり、そのために、『「捨てる!」技術』は有用となり得る。


 本の内容を書き写すのは大変だから、次のページをリンクしておく。

 『捨てる技術!』で、憩いのわが家を手に入れる(前編)
 『捨てる技術!』で、憩いのわが家を手に入れる(後編)


 7年も前の本の紹介をしてしまった…。




 こうして、不用品を大量処分すると、モノは減るし、収納スペースは空くしで、以降の片付けが圧倒的に楽になる。なかなか部屋が片付かない、という人は、まず片付けることよりも先に、不用品の処分からはじめたほうがよいのではないか。


2007年09月03日(月) | 23:41:51 | トラックバック(0) | 出来事

カンボジアの「野生化」女性


カンボジアの「野生化」女性、奇跡の生還から1か月
 8歳のときに行方不明になったロチョムさんは先月13日、首都プノンペンから北東約400キロ・メートルのベトナム国境に近い林中で、全裸に四つんばいの姿で地面の米粒を食べていたところを保護された。
(中略)
 奇跡の生還から1か月。目を離すと服を脱ぎ捨てジャングルに帰ろうとするなど、動物的行動は依然として消えず、人間としての生活を取り戻すにための家族の戦いが続いていた。
(中略)
 発見場所から南5キロ・メートルの小さな自宅を訪ねると、ロチョムさんは裏庭で鉄柵につかまってしゃがんでいた。言葉は全く話せず、時折、ケタケタと小さな声で笑った。(中略)
 足指のツメが赤く塗られている。「女らしさを自覚させたいと思って」と話すルーさんらの眼前で、ロチョムさんが突然、真っ裸になって走り出した。
(中略)
 ルーさんによると、ロチョムさんは当初、おびえきった目でじっと遠くを見つめるだけだった。最近は、両親と6人の弟妹に囲まれてリラックスし、「ご飯だよ」と声をかけると、表情こそ変えないものの、食卓の前に座り、食事を待つ姿勢を見せるなど、簡単な言葉を理解し始めたようだという。
(中略)
 カラオケの歌に聞き入り、山や女性の絵をクレヨンで描くようにもなった。一方で、食事では牛や豚の半生肉を好み、ボクシング映画を見ると壁や床をたたいて興奮するなど野性的な側面はいまだ顕著だ。
(中略)
 村を管轄するマオ・サン警察署長も「一人で生き延びたとは思えない」と語り、「むしろ、ジャングル奥地で人知れず暮らす少数民族に助けられていた可能性がある」と想像する。

 人類学などの学者にとって、魅力的な研究対象だろうな、と思う。

 私個人の勝手な想像でいえば、「8歳で行方不明になった」というのが真実であるならば、その後19年間、他の生物と無干渉で育ったとは思えない。昔、「狼に育てられた少女」の話があったが、この件も同様に、肉食動物の干渉があった、と考える(ただし「狼に育てられた少女」は作り話という噂もあるが)。

 理由は、彼女の行動。彼女は話すことができないことため、その行動から、謎を解いていくしかない。そして、その行動は極めて動物的である。

  • 全裸に四つんばいの姿で地面の米粒を食べていた

  • 裏庭で鉄柵につかまってしゃがんでいた

  • 食事では牛や豚の半生肉を好み

  • ボクシング映画を見ると壁や床をたたいて興奮する

いくら、自然の中にいたからといて、直立歩行で8歳まで育った子供が、四つんばいになってしまうなんて考えられない。

 記事中にある「少数民族説」も眉唾。いくら原始的な部族とて人間は人間。ホモサピエンス。直立歩行だし、言葉は話すし、肉には火を通す(日本人くらいか?生が好きなのは?)。文化や言語は異なれど、ちゃんと「人間らしく」育つだろうし、ジャングルに放置されることも考えにくい。

 どう考えても、動物(しかも肉食動物)の干渉があったとしか思えないのである。

 ただし、「赤ちゃんのときに捨てられ、その後、驚異的な生命力を発揮して今日まで生き延びた」という話なら、他の生物の干渉無しに、動物的行動を身に着けることも可能かもしれない。ハイハイのまま年月を過ごし、自力で狩を習得したので、生肉が好き。

 ということで、「学問的には」、彼女の謎は興味がある。かつての「狼に育てられた少女」は信憑性が疑わしいとしても、この件は紛れも無い事実なのだから。ただ、「人間らしい生活」を取り戻すのが、彼女自身にとって本当に幸せなのかどうか、私には分からない。

2007年02月24日(土) | 11:19:16 | トラックバック(0) | 出来事

居酒屋の店員の数

 昨日は、池袋の日本橋亭で呑んだ。

 しかし全然、注文したものが来ない。食べ物が来ないだけなら、厨房が狭いのか、コックが少ないのか、と思うが、飲み物も遅い。最初に頼んだビールが来るのに、20分もかかった。別に、大して混雑しているわけでもないのに。

 つまり、バイト店員の絶対数が足りていない、ということだ。

 店員を最低の人数しか置かない。これで経営者は「人件費を抑制」しているつもりなんだろう。もっと大切なものを切り捨てているのも理解せずに。

 待たせる、という行為は、非常に客をイライラさせ、心証を悪くさせる。あまりにも来ないもんだから、店員にも苦情をいう。「今、急いで持ってきます」といって、持ってきたフライ。食ってみたら、中が凍ってやがる。再度、店員に苦情を言ったら、もう一つ持ってきてもらえることになった。こうして、店員にも余計な負荷がかかる。

 それに、注文しても来るのが遅いので、呑みも進まない。大して食べていないのに、いつの間かお腹が一杯になってしまった。終電が迫っているから、もう帰らなくちゃ。こうやって、客一人頭の売上を、わざわざ下げている。



 また、この店は、メニューがしょっちゅう変わる。ある日、注文した食べ物の量が妙に減っていた。店員に「ちょっと、これ少なくないですか」と問うた。

 店員曰く「メニューが変更になりました。量を少なくするかわりに、料金を下げて、お求めやすくいたしました」

 確かに、100円くらい、安くなっている。しかし、どう見ても、減少量は100円分以上。

 その後、再び、メニューが変わった。量はそのまま、バッチリ値上げ。トータルでは、ただの量削減でしたとさ。

 まあ、この店は、そこそこ上手いし、地の利もあるから、儲かっているんだろうけど、「結構、エゲツない考え方してんだろうな、ここの経営者は」と、この店に行く度に思う。

2007年02月21日(水) | 22:06:35 | トラックバック(0) | 出来事

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Author:あいふる
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