社保庁が大崎市元職員を告発 年金横領問題 自治体職員による年金横領・着服問題で、社会保険庁は12日午後、国民年金保険料約28万円を着服して懲戒免職された宮城県大崎市の元職員を、業務上横領容疑で宮城県警に刑事告発し、その場で受理された。社保庁が市町村職員の保険料着服を告発するのは初めて。宮城社会保険事務局長名で告発した。
年金着服:旧田尻町職員保険料着服 「当時社保庁と協議」不告発で市長が会見 /宮城 国民年金保険料28万円余を着服した旧田尻町の元職員を刑事告発しない方針を決めた大崎市の伊藤康志市長は10日の定例会見で、同町が告発しないと決めた01年当時、「社会保険庁側と十分に協議、相談した。同庁は当時の資料を掌握しているはずだ」と述べた。その上で、自治体に代わり告発の準備をしている社保庁から当時の資料提供などの具体的な協力・相談があれば、その時点で対応したいと述べた。
社保庁は舛添要一厚生労働相から告発するよう指示を受け、宮城社会保険事務局の辺見聡局長が9日、同市長を訪問し、必要な協力を求めるあいさつを行っている。同市長は同厚労相との一連の騒動について「自治体の出した(告発しないとの)判断に冷静な検討をいただきたかった。(市の方針に)聞く耳を持たずという対応をするのなら、(当初から)国が直接告発すべきだった。『自治侵害』の不快感を持たざるを得ない」と述べた。 年金着服 舛添厚労相と自治体が対立 総務相は困惑 年金保険料の着服問題をめぐり舛添要一厚生労働相と自治体の間がぎくしゃくしている。舛添氏は社会保険庁長官に自治体の着服職員の告発を指示するなど強い姿勢で臨んでいるが、「市町村は社会保険庁より信用ならない」との同氏発言をきっかけに地方には感情的反発が広がっている。板ばさみとなった増田寛也総務相も困惑を隠せずにいる。
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市長の気持ちはわかる。着服者発生時に、社会保険庁と協議した上で、不告発を決めたのに、今頃「告発しろ」というのは、ものすごく納得いかないのだろう。多分、自分が市長の立場だったら、同様に考えたと思う。
また、一方の社会保険庁にも、しょうもない職員がいて、「市町村のほうが信用ならない」というのは掛け値がある。舛添さんも言い過ぎといえば、言い過ぎなのだ。
ただし、トータルで言えば、私は、舛添大臣のほうを支持するし、市町村の認識は、やはり甘過ぎると思う。当時告発しなかったのは仕方無い部分もあり、とりたててこれを責めるつもりはないが、様々な問題が知られるようになった今になってもなお、告発しないのは問題だ。
着服の件について、今、何が求められているか。それは当然、「再発防止」である。その具体策の一つとして、厳罰化がある。ドロボーに対してナアナアにせず、きちんと刑事告発をすることは、概ね、国民の理解を得られているものと思う。
問題は、「その刑事告発を、過去の例に遡って行うべきかどうか」だが、これもやはり行うべきだろう。勿論、過去の事件といったって、法律上の限界がある。新たに法律を作って、無制限に過去の事件を告発することなどできっこない。ただ、今出来ることに関しては極力行うべき、というムードにはなっている。今出来ることを行わないで「今後は刑事告発しますよ」では信用されない。全ての案件に対しナアナアにしないのがあるべき姿なのだから、過去の事件も可能な限り、ナアナアにしないことが求められるのだ。
しかし市町村の多くは拒否している。市町村が一旦不告発を決め、独自の制裁を課したからって、それを翻して告発に踏み切るのは、法律上可能だし(ていうか、法律には告発する"義務"が書かれているらしい)、技術的にも困難ではなく、国民からも求められている。
にも関わらず、それをやらないのは、色々と理屈はつけていても、結局は市町村側の面子なのだと思う。しかも、市町村民レベルの面子ではない。あくまで公務員内部(市長や議員を含む)に閉じた面子だ。一旦下した処分に対し、得体の知れぬニュー大臣のパフォーマンスで、それを変更するのは面白くない、というのが本音なのであろう。また告発することにより、そこから直接発生する手間暇、全国規模で報道されることのダメージ、職員に対するスタンスの変更、場合によっては年金以外の着服の発覚など、様々な面で面倒が生じかねない。こういうのも避けたいのであろう。
ただ、着服者は当の市町村の職員であり、結局は市町村の責任なのだから、後でどのように扱われようと、「自治侵害」などと面子丸出しの言い分が通用する立場ではない。
市町村は社会保険庁と摺り合わせをしたというが、残念ながら、そんなこと、新任の異色の大臣にとっては知ったこっちゃないだろうし、国民の多くにとっても同様。現在の社会保険庁がしっかりしているかどうかは分からないが、少なくとも大臣はルーズさから脱却しようと、はりきってはいる。「当時の"ルーズな社会保険庁"との協議」よりも、「現在の"ルーズさから脱却しようとしている社会保険庁"の方針」のほうが、優先さるべきなのは明らか。結局、「当時の"ルーズな社会保険庁"との協議」など、倒産した会社の株券のようなもので、現在は全く無価値になっているのである。
また、ここで、大臣が市町村の言い分を呑んで、「そうでした。当時、社会保険庁と市町村が協議したんでしたね」なんて感じで納得してしまったら、大臣の人の良さは証明できるが、今後の改革については、何にも期待できなくなってしまう。舛添大臣みたいに、挑発的な言い方をするのが良いかは別にして、この程度の不平不満などシカトして先に進めるくらいでなければ、社会保険庁改革など、絵に描いた餅に終わる。
更にいえば、だ。省庁の方針なんて、大臣次第で変わることがあって当然なのである。でなければ、もし「政権交代」が起こった場合も、行政の方針を変えることができず、その意味合いが無くなってしまう。今回は政党間の政権交代ではないが、大臣が変わったし、年金行政の環境も当時とは全く異なっているのだから、やはり方針の転換があって然るべき。過去の問題の対応について変更が求められることも、考慮に入れなければならない。
大臣が変わっても方針が変わらないほうが、市町村にとってはやりやすいのは事実だろう。しかし、そのような現場任せのあり方が、行政の緊張感を揺るがした、という反省がある。舛添大臣みたいに、無用に相手の神経を逆撫でするようなやり方は賛否あるにしても、基本的に対立を恐れるべきではないね。
いくら大臣が市町村に喧嘩を売ったところで、市町村側には何も武器は無い。大臣に抗議するのが関の山で、「もう保険料は集めません」なんて、実力行使などできっこない。市町村側に同情的な意見なんて一握り。どんどん対立すればよい。トップさえ強く出れば、技術的な障害が無い限り、下は動かざるを得ないのだから。あの相撲協会でさえ、ね。
読売の社説。
年金横領告発 甘い処分の総点検が必要だ この社説に100%同意する。
今、舛添大臣は、当時の社会保険庁や市町村の職員を攻撃して得点を稼いでいるが、今年5〜6月、安倍首相をはじめとする自民党・公明党は、菅直人元厚生大臣を攻撃して、ブーイングを喰らった。過去の他人を攻撃しているのは同じなのに、評価が逆になっているのはどういうことだろう。
「過去の他人を攻撃する」こと自体は、悪いことではない。首相や大臣本人に直接責任は無いんだし、もしこれが許されないとなると、(先にも言ったが)政権交代など絵に描いた餅になってしまう。
だから、「過去の他人を攻撃した」そのこと自体は問題でないのである。ただ、安倍首相は、どこか勘所を外していた。それは何だろうか? 以下、考え中。
2007年10月12日(金) | 23:32:04 | トラックバック(0) | 時事問題
性差を超えたエンタメ人気 社会モラル崩壊の象徴? 性差を超えたエンターテインメントが世界的なブームだ。日本では中性的な男性タレントが大挙して出演するテレビ番組や、女性歌手のヒット曲を男性歌手がカバーした企画盤が人気を獲得。米ハリウッドでは男優が太った中年女性、女優が男性ロック歌手を演じ話題だが、「テレビ文化がけじめなき社会を作り上げた証明」と批判する専門家もいる。(岡田敏一)
流行語「どんだけ〜」の生みの親で知られる美容界のカリスマ、IKKOさんや、華道家、假屋崎省吾さんら大勢の中性的な男性タレントが、最新ファッションや美容、グルメ情報などを紹介する日本テレビ系のバラエティ番組「超未来型カリスマSHOW おネエ★MANS」。
(略)
こうしたブームについて、松浦亜弥さんのものまねなどで人気のタレント、前田健さんは「歌舞伎や宝塚歌劇のように日本では男が女を演じる文化があるが、最近のブームは女性受けを狙ったもの。今の芸能界では女性の人気を獲得しなければスターになれないですから」と分析する。
一方、メディアの変遷などに詳しい東海大学文学部広報メディア学科の時野谷浩(ときのや・ひろし)教授は「テレビの登場以前は社会のモラルが明確だった。男は男らしく、女は女らしかった。そのけじめを壊したのがテレビ文化。社会秩序を破壊している」と批判的に見ている。
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確かに最近は、男性の中性化・女性化が目立つのは事実。ただ、最後の時野谷さんの「テレビの登場以前は社会のモラルが明確だった。男は男らしく、女は女らしかった。そのけじめを壊したのがテレビ文化。社会秩序を破壊している」というコメントは、あまりに紋切り型である。
社会のモラルなんて、崩れては構築され、崩れては構築され、の繰り返しなんでない?それに、テレビに社会モラルを壊すまでの力ってあるのかな。もともと社会モラルがぐらついている所を、狙って壊しにいくのがテレビなのであって、視聴者の潜在的な支持の無いところに、テレビが何をどう煽ったって、どうにもなりゃしない。
話を、男性の中性化・女性化に戻そう。
上の記事では、本格的に中性を狙った人物しか採りあげられていない。しかし考えてみれば、随分と昔から、若い男性のルックス理想像は、女性的なものになっているのではないだろうか。
例えば、ジャニーズとか、「お母さんといっしょ」で子供よりもお母さんから大人気だった弘道おにいさん。いわゆる「男らしさ」とは無縁のルックスをしている。それは、彼らが、とりたてて女性化とか中性化を狙っているから、というわけではない。間違いなく彼らは、見かけも中身も男性である。ただ、彼らには「おとこおとこした雰囲気」というものが無いのである。
そういう意味では、「男性の中性化」というよりは、「男性性の稀薄化」というほうが正しいか。何れにせよ、「おとこおとこした雰囲気」は「マッチョ」として嫌われるのである。
そういう下地は、かなり昔からあった。私の知る限り、古いところでは舟木一夫あたり。時代の制約から、現代ほど過激ではないけれども、悪く言えば「女々しい」。少なくとも、男らしさよりは、女性的な柔和さで売るタイプであり、石原裕次郎のワイルドさとは方向性が逆なのではないか、と思う。
こういうのは、特に若者系・アイドル系で見られ、時代を下るほど顕著となる。郷ひろみなんかも、可愛いもんだった(
これとか)。男性の中性化、あるいは男性性の稀薄化というのは、別に今にはじまったことではないのである。最近は、それらが更に進んで、ニューハーフ的なものが増えてきてはいるが、それはある日突然にそうなったのではなく、何十年も前から、そういうのが流行る下地は出来ていたのである。
※ちなみに、おすぎとピーコ系は、キワモノで売っている感じなので、ここでいう女性化・中性化には当てはまらない。
で、時野谷さんのコメントに戻るけど、女性的な男性が流行るのは、別にテレビが流行らせているのではなくて、時代が「中性・女性的な男性」を求めているんですよ。「おとこおとこした」「汗臭い」「マッチョな」男なんて、いくらテレビでやってもキワモノ扱いされるだけです。いくらテレビでも、プロデューサーは打ち切りになるのが怖いから、「男性的な男」に時間を割くことはしないんです。
では、何故、「おとこおとこした男」は人気ないのか。
それは分からん。ただ、現代は、男性が男性らしくあることに、大した利点が無いのは確か。仮に「女性を守る」のが男性の仕事だったとしても、女性を守る最大の武器は「腕っ節の強さ」ではなくて「金」なのです。で、その「金」で何をやるかっていうと、女の子と食事をしたり、映画を見にいったり。「男性らしさ」の出る幕など、せいぜいスポーツをする時くらいですかね。
それどころか、「男性らしさ」とは、太古の「獣時代の記憶」であるから、文明社会でスマートに暮らそうとすると、かえって邪魔になりかねないもの。あれやこれやで、「おとこおとこした男」が、その本来のあり方で賞賛されるようになるのは、当分先ではないでしょうか。
かくいう私も、実は、女性的・中性的にイメチェンしてしまった。別に、テレビのアイドル並になろうとしているわけではないが、人生一度でいいから、女性的な外見になってみたいと思ってしまったのだ。正確にいえば、かなり昔から思っていたが、それを実行に移したのが最近、というわけ。やはり、そういう変なことができるのも若いうちだけだから、最後のチャンスと思って。
髪の毛は、一番下が肩につくくらいになった。スキンケアは欠かさない(スキンケアは一般男性にもオススメしたい)。ヒゲもレーザー脱毛で処分。眉毛も細めはカット。時にはリップグロスなども。
ちょっと私の場合はやり過ぎだが、自分の別の側面を発掘できたようで、非常に満足していたりする。他人の目は厳しいけど。
2007年10月09日(火) | 00:14:14 | トラックバック(0) | 社会
最近、平日の昼間、家にいることが多いもんで(代わりに夜間とか休日が仕事)、ワイドショー、テレビショッピング(ジャパネットたかたがお気に入り)、地域局のアニメ再放送(トムソーヤの冒険とハクション大魔王)などをよく見ます。
この前、ハクション大魔王に洗濯機が出てきましたが、これが相当な時代モノ。そこには脱水のためのローラーがついておりました。このローラーで脱水すると、せっかく洗った衣類がシワシワになり、もう一度洗濯しなくてはならなくなるんだよ、と懐かしく私に語ってくれた女性もいました。
いつごろ洗濯機って生まれたのかな? 昔の洗濯機には、今から考えるとちょっとおもしろいものが取り付けられていたんだよ。2本のローラーで洗濯物をはさんで、ぎゅーっと水を絞(しぼ)るんだ。ハンドルを回すとローラーが回る仕組みで、結構力がいったんだけど、当時は随分(ずいぶん)便利だと評判(ひょうばん)だった。
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ハクション大魔王という漫画が、結構古い時代のものであることが、この洗濯機から分かるのですが、たとい機種としては古いものでも、カンちゃんの家に当たり前のように存在していることから、高度経済成長時代を遡らないことも分かるのです。
wikipediaによれば、ハクション大魔王は、1969年10月5日から1970年9月27日まで(昭和44〜45年)の放映だそうです。私が子供の頃見ていたのは再放送だったもよう。ものすごい大人気アニメというわけでもないのに、地味に再放送が繰り返されたのは何故だろう?
ハクション大魔王の話になってしまったが、これは本題ではない。今、最もワイドショーでアツいネタ。それは、あの「時津風問題」である。このネタは、6月くらいから存在しており、報道もされていた。遺体には「根性焼き」の跡があったといい、単なる病死とは思えないので、私は結構注目していた。しかし、当時は新聞の片隅にちょっと乗ったくらいで、早々に世間からは忘れられてしまった。
この話題が再び盛り上がるのは、父親が悲痛なる記者会見をして以降だろう。それまでの間、死者の家族が行政解剖を依頼したり、親方からアクセスがあったりして、材料は揃っていた。そして、それらの材料をもとに、序の口力士一人の死亡とは思えないほど、世論はヒートアップ。とうとう時津風親方は解雇となった。
時津風部屋はいうまでもなく、不世出の大横綱・双葉山が現役時代に開いた「双葉山道場」が、直接のルーツである。現時津風親方は、元双津竜。この四股名は、双葉山から一字をとったものであろう。
私は、最近相撲を見ていないけど、以前は結構好きで、様々な力士伝を読んでいた。なかでも、最も感銘をうけ、個人的に最強と思った力士が双葉山である(※)。だから、今回の騒動のような形で、時津風の名に傷がついてしまう(下手すると部屋廃絶)ことは、まことに残念でならない。
※江戸明治には双葉山を上回る勝率9割の力士がゴロゴロいた。しかし、当時は、優勝制度が無く、分け預かりで勝負がつかぬ土俵も多かった。そんな牧歌的時代にある彼らが、勝負にシビアで、実力伯仲の中を勝ち抜いてきた昭和以降の力士に勝てるとは思えない。大正の太刀山・栃木山くらいなら、双葉山より強い可能性も大きいが。
金属バット。竹刀は、もともと人間を叩くために作られているから比較的安全だし、気合を入れるには、ある程度必要なものだろう。しかし金属バットは、野球の硬い球を叩くために作られたものであり、人間を叩くことは想定されていない。
そういう危険なものが部屋にあったのは、一体、何故なのだろうか。当blogの読者で、どれくらいの人が、金属バットを自宅に備えているだろうか。本人or子供が野球をやっているのでない限り、金属バットが、家にある蓋然性は極めて低いのではなかろうか。もし時津風部屋に、金属バットだけがあって、グローブや球が無いというのなら、その金属バットは、野球以外の用途を目的としている、と思われても仕方があるまい。
現・時津風親方は、自分は「死ぬほどの暴行は加えていない」といって、必死に釈明していた。その釈明が嘘だと、警察ならぬ素人が証明するのは難しい。しかし、「何故、部屋に金属バットがあったのか」という根本的な疑問に明確な答えが与えられない限り、時津風親方の言うことは信用されないないだろう。何せ、ビール瓶の件で、一度ごまかしているのだから。
さて、現役力士の死亡は、当然のことながら今回がはじめてではない。時津風部屋以外にも例があり、多くは未成年である。
昭和62年以降・現役で死亡した力士
死亡年月/四股名/年齢/部屋/最高位/死因
S62・4/若鬼竜/16/時津風/三段目/虚血性心不全 元・10/榎田/18/高砂/序二段/急性白血病 2・2/龍興山/22/出羽海/前頭5/虚血性心不全 2・7/近村/19/九重/序二段/急性心不全
4・2/大威力/18/朝日山/序二段/心不全 4・3/琴干場/24/佐渡ヶ嶽/三段目/肥大型心筋症 4・7/魁士/15/放駒/序ノ口/心筋梗塞
8・10/若藤光/25/宮城野/三段目/心不全 10・3/剣晃/30/高田川/小結/肺出血 15・7/前田/15/北の湖/序ノ口/拡張性心筋症
16・8/吉村/17/田子ノ浦/三段目/多臓器不全 16・10/中渕/32/貴乃花/幕下/虚血性心不全 19・6/時太山/17/時津風/序ノ口/急性心不全
※注 これは、あるワイドショーで示された図表をテキストに起こしたもの。テキスト自体はネットからとってきたものだが、私は、ソースのワイドショーを見て確認している。
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しかし、これまで、現役力士の死亡というものは、あまり大きく取り扱われてこなかった(昭和40年代の玉の海のような大力士は別として)。今回、序の口力士の死亡が、ここまで話が大きくなったのは、あまりに遺体の傷跡がすさまじく、スキャンダルの様相を帯びてきたからであろう。
しかし、死因が、暴行ではなく、ただの「厳しい稽古」であったとしても、現役力士、特に一人前とはみなされない幕下以下の力士が死ぬことを、そんなに軽く扱ってもよいのかな、という気がする。
テレビを見ていると、多くの人は、「けいこの範囲を逸脱した暴力だからいけない」と言う。しかし、けいこだろうが暴行だろうが、「親方の管理のもとで亡くなった」という構造には変わりがない。自分で稽古の裁量を持てる関取は別にして、幕下以下、特に序二段・序の口あたりは、体もまだ出来上がっていないなか、親方や兄弟子に言われるがままの稽古をするしかない。そういう状況で、弟子が死んだとなれば、親方の責任はもっと問われてしかるべきなのではないか(交通事故などは別だが)。例えば、高校野球で、部員が過酷な練習で一人でも死亡した、となれば、そこに暴行が加わっていなくとも、学校や顧問の責任が、問われるに違いない。
それに、死亡率も異常である。老人ホームじゃあるまいし、千人足らずの若者集団が、上で挙げたような割合で死亡しているのである。読者の方は、御自分が通っていた高校を思い出されるとよい。どこの世界に、1〜2年に一人のペースで、生徒が病死する高校があるというのか。
結局、角界は「相撲という厳しい世界だから、死者が出るのは仕方が無い」と何となく思ってしまっているのではなかろうか。体重百キロ超の格闘技をする人間達の集団であるから、本当は通常のスポーツ以上に、生命や健康の維持管理が大切なのにも関わらず、そこら辺は、部屋や親方任せになってしまっているのではないだろうか?
もちろん、力士の生命管理・健康管理をちゃんと行っている部屋も多いだろう。しかし、時津風部屋のような部屋もある。そして全体的には、力士の生命を守ることに対し無頓着な雰囲気があると思う(でなければ、3人が連続して亡くなった平成元〜2年、平成4年、平成15〜16年あたりに、協会で問題にされるはず)。
そういう雰囲気があるからこそ、厳しさと暴行を勘違いする者も出てくる。彼らが暴走した場合、そこに歯止めがかからなくて、死者が出ることもありえる。そこまでいかなくとも、あまり健康管理に気を遣わない状態で、稽古を厳しくしすぎ、ある日死んでしまう。厳しさと暴行は別物ではなく、連続したもの、あるいは突然変異などと捉えたほうがよいと思う。
今後、相撲協会は、部屋における暴行を根絶する努力をするのは当然にしても、もっと「力士の生命を守る」という視点を持って欲しいものだ。体重百キロの格闘技をする人間の健康診断が、年2回では少なすぎる。公のものだけでも場所ごとに行い、体調が悪い者は本場所には出さない。また、各部屋は、かかりつけの医師と綿密に意思疎通を行い、特に新弟子と30歳以上は、毎週のように診断を行い、身体に過剰な負担がかかっていないかチェック。土俵の構造も、怪我がしにくくなるよう見直す。稽古のあり方、そして「厳しさ」というものを見直し、精神論的なものは排除する。
ありきたりの結論になってしまうのかもしれないが、力士の健康や生命というものは、決して部屋や親方任せにせず、協会が主体的に取り組んで欲しいものである。
2007年10月06日(土) | 14:14:36 | トラックバック(0) | 社会
この前の金曜日、喘息の発作が起こった。夜になったら更にひどくなり、まともに息もできなかったが、何とか朝まで耐えて小康状態。夜中は一睡もできなかったので、昼になってから仮眠した。
その後、夜になったら、更にひどい発作が再発。今度も耐えたが、明け方に、頭痛、脂汗、下痢を併発し、とても耐えられる状態ではなくなった(勿論、一睡もしていない)。仮に朝まで耐えて、再び小康状態になったとしても、この分だと、また発生する可能性がある。窒息死するんじゃないかと思うと、とても怖かった。かといって、週末なので病院は空いていない。
そこで、意を決して、119番で救急車を呼び出した。まともにしゃべれる状態ではなかったが、最後の力を振り絞って、なんとか住所と病状を伝えると「すぐに向かいます」と言われ、5分くらいしたら、サイレンが聞こえてきた。
救急車に乗せてもらい、そして吸入器を鼻と口にかぶせてもらい、自分のプライベート情報と詳しい病状を隊員に伝えた。
その後、隊員は、どこかに連絡をとっている。「小金井救急です。3×歳、男性、金曜日から喘息で…。」どうやら、病院にアポをとっているらしい。意識は朦朧としていたが、自らの命に関わる情報(大袈裟なと言われるかもしれないが、毎年、喘息で数千人死んでいるのである)であるから、必死こいて聞いていた。
しかし、救急車は発車しない。
その後、しばらくしたら、また、隊員がどこかに連絡をとっている。「小金井救急です。3×歳、男性、金曜日から喘息で…。」さっきと同じ内容。
そんなこんなで、このやりとりは、4回くらい繰り返された。
そして隊員が「入院用のベットは空いていないけど、診察はしてくれるって?いい?」と聞いてきた。もう私は、診てくれるならなんでもいいので、とにかく、うなずく。そしてやっと、救急車は発車。ピーポーピーポーとサイレンがなる。ここまで、救急車到着から10〜15分くらいだったろうか。
いきなりプライベートなことを書いてしまったが、これは次のニュースに関係がある。
妊婦拒否、延べ16病院 救急搬送、千葉でも 千葉市で昨年、30代の妊婦が病院への救急搬送を16回断られ、救急隊を呼んでから1時間後に病院で切迫流産と診断されていたことが5日、わかった。千葉市消防局は「救急搬送の遅れと切迫流産の因果関係は不明」としている。 |
もうお分かりだろう。私の場合も、3つの病院から診察を拒否され、4つ目の病院でやっと受け入れてもらえたのだ。
私が搬送された病院は、武蔵境にある「
武蔵野赤十字病院(救急救命センター)」。私の住居からは、鉄道で数駅あり、そんなに近くはない。後でネットで調べたら、武蔵野赤十字病院よりも近くに、救急をやっている病院があったが、断られたんだろうな。
でも、今、問題になっている診察拒否問題は、妊婦の件に限定されている。しかし、診察拒否は、産科に限らず、結構一般的なことらしいのだ。次のページは現役救急隊員によるものである。
パラメディック119 〜すべては救命のために〜 たらい回し9件、それっていつものこと… このニュースを聞いて現場の救急隊員をしている私はまずこう思いました。「いつものことなのになぁ…」受け入れ先病院を見つけるのに9件10件断られるなんて本当にいつものことです。奈良県の周産期医療の受入れ態勢が悪いと問題視されていますが、これは奈良県に限ったことではなく全国的な問題です。さらに産科医の不足も問題視されていますが、これも産科に限りません。どの科目であっても9件、10件受け入れ先が見つからないなんて日常茶飯事です。 (中略) きっとこの手の問題はしばらくの間は起き続ける思います。医療機関の受入れは年々悪くなってきているように感じます。さらに救急病院の看板を降ろしてしまう病院も増えてきました。救急病院が減っているということです。救急病院が減るもっとも大きな原因は「医師がいないから」のようです。今回、受入れを断った病院側も様々な形で取り上げられていますが、現場の医師の勤務体制だって本当に深刻です。ひとりで診られる患者の数には限界があります。救急医療体制は、今のままでいつまでもつのか?はたまた地方によってはすでに崩壊状態に至っているのでしょうか?こんな中、私たち救急隊は扱った傷病者を、そして自分たちをどうやって守っていけば良いのでしょうか?
受け入れ先が決まらず1時間、2時間現場に待機、罵声を浴び続けたなんて経験、現場の救急隊の方ならあるはずです。
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喘息は、余程ひどいケースでない限り、処置のパターンは決まっているだろうから、受け入れる方としても、そんなに問題は無いと思うが、それでも、たらい回しにされることがあり得る、という訳だ。実は私、ある病気で結構、救急車に乗っているが(救急車をタクシー代わりにつかう怪しからん輩とは違うので念のため)、実際にたらい回しにされたのは、はじめてである。
まあ、私の場合、救急に力を入れている病院があったため、10分ほど待っただけで、すんなり受入先は決まったのだが、地方で、病院が少ないところでは、かなり苦労するのであろう。勿論、その責任は現場の救急隊員にあろうはずがない。
最近、「救急医療の崩壊」が言われることが多くなったが、それを身をもって体験してしまったので、敢えてここに書いた次第である。
それにしても、救急車が来てくれて、本当にありがたかった。冗談じゃなく、死ぬか、と思った。それほどの状態で、自分で救急病院を見つけて、そこまで自分で足を確保して出向く、なんて出来よう筈が無い。それを、全て救急車が無料で代行し、応急措置までやってもらえるのだ。また、病院でも色々と親切にしてもらい(まぁこれは有料だが)、酸素吸入、点滴2本などで、どうにか回復し、帰りはバスと電車で帰った。今は、多少、気管がヒューヒューなるくらいで、家で安静にしている分には問題無い(出かけなきゃならん用事もあるから、一日中家にいることは不可能なのだが)。明日にでも、長期的な治療のために、近くの開業医に行こうと思っている。
2007年10月01日(月) | 20:28:12 | トラックバック(0) | 時事問題
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