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本日の流行語? 死者にムチうつ/うたない

[文章追加、あります]


産経抄
 ▼小欄は、心から松岡氏の冥福を祈るものである。死者に鞭(むち)を打たないのは、うるわしい日本文化のひとつでもある。それでも、自らの死によって、真実を闇に葬ろうとする行為を認めるわけにはいかない。



中日春秋
▼「真実一路」を信条に挙げていた。ならば、「ナントカ還元水」ではなく、もっと詳しい説明をしてほしかった。「お世話になった人を大切にする」との言葉も信条で、そんな人や自分を選んだ有権者のため、命を大事にして責務を果たしてもらいたかった。死者をむち打つことにもなろうが、そう書く



朝日社説
 これらの疑惑が自殺にどう影響したのか、松岡氏の心の内は定かではない。ただ、もし何らかの関係があったとすれば、なぜ事実を明らかにし、非があるならそれを認めて出直そうとはしなかったのだろうか。

 死者にムチ打つつもりはないが、それが国会議員として、また閣僚としてふさわしい責任の取り方だった。



擁護の首相責任追及へ=松岡農水相自殺で野党(時事)
 民主党の鳩山由紀夫幹事長は同日午後、首相が野党や世論の批判に耳を貸さず、松岡氏を閣僚として起用し続けたことが自殺の一因になったとの見方を示した。同党の国対役員会では「死者にムチを打たないようにする」ことを確認したが、この後、鳩山氏は小沢一郎代表と会談し、「政治とカネ」の問題で政府追及の手を緩めないことで一致した。


↓言葉は違うが意味は似たようなもの

余録
▲公人の突然の自死が、さまざまな憶測を呼び起こし、政治的な波紋を巻き起こすのは、この世のやむをえない成り行きである。農相自身のためにもそれが残念でならないが、すでに永遠の世界に旅立った魂には静かに手を合わせたい。

 今回の件は、直接的には与党のスキャンダルだが、大きくは、政界全体の問題ということになる。野党は与党を追及して事足れり、となるのか。国民は、野党に対しても厳しい視線を注いでいるのでは? まあ、現状への不満を表すには、与党に入れる選択肢は無いので、相対的に野党が浮上してくるんだろうが、トータルで見れば、政治全体への不信が高まったと思う。



松岡農相自殺/あまりにもやりきれない
死者にむちは打ちたくない。だが、安倍晋三首相が初の組閣で、既に疑惑が取りざたされていた松岡氏を農相に起用したことに危惧(きぐ)の念を覚えた人は多いはずだ。首相の任命責任が問われるべきだろう。



[松岡農相自殺] 疑惑未解明のままではやりきれない
 死者にむち打つようで忍びないが、農相には昨年の組閣段階から疑惑が取りざたされていた。にもかかわらず、首相は松岡氏を農相に起用した。首相は任命責任の重さを再度かみしめなければならない。


「政治とカネ」透明化を急げ/松岡農相が自殺
 だが、松岡農相は潔白を主張していた。自殺した二十八日の午後、松岡農相は参院決算委員会で緑資源機構の談合事件などについて答弁する予定だった。死者にむち打つようだが、自殺などせず、出席して堂々と説明責任を果たしてほしかった。

 どの記事も、書いてあることは似たようなもの。「死者をムチ打つ」という枕詞がやけに多いのも同じ。松岡氏の疑惑などについて述べるとき、そのままだと過激になってしまうから、「死者にムチ打つ」という言葉を使いたくなるのだろう。

 でも、その枕詞に、「死者をムチ打つわけではないが」という否定形と、「死者にムチ打つようだが」の肯定形、正反対の二つがあるのは不思議。気を遣っているのは分かるが、多少なりとも死者にムチを打っているのは確かなんだから、肯定形のほうが潔いかも。当blogも、死者にムチをうつことは今後もする。検察も野党も、疑惑の解明を止めてほしくない。松岡大臣を含め、関係者の自殺が相次いでいるからこそ、余計に真相を知りたくなってしまうのだ。「死者にムチ打たない」なんて綺麗事ですまされる問題であろうか。


2007年05月29日(火) | 09:01:47 | トラックバック(0) | 政治

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